修身教典

編新 尋常小学校 修身教典 尋常小学校用 巻三 より

 

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勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此
レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ
兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ
修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開
キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無
窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々
服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

 

明治二十三年十月三十日

御名御璽

 

第一課 日の丸のはた

 日の丸のはたは、わが國の、はたじるしで、あります。

 日の丸は、まことに、あざやかで、いさましいもので、あります。

 されば、わたくしどもゝ、このはたじるしのよーに、わが日本の國が、いさましく、さかんになることを、つとめねばなりませぬ。

 

第二課 和氣麻呂公、及

その姉

 和氣麻呂(ワケキヨマロ)公は、忠義な人で、ありました。

 稱徳天皇(ショートクテンノー)様の御時に、道鏡といふわるものが、天皇の位につきたいと、ねがひました。

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 麻呂公は、稱徳天皇様の御使となって、宇佐の八幡宮に、まゐりまして、神様の御教を、うけられました。

 やがて、かへられまして、

  天皇の御位を、のぞむものは、退けよ。

との御教を、申し上げました。

 道鏡はおこりまして、麻呂公を、大隅の國に、流しました。

 まもなく、光仁天皇さまが、御位に、つかせられまして、道鏡を、下野(シモツケ)の國に、追ひやられました。

 麻呂公は、都に召しかへされ、其の忠義をほめられて、益、重く用ゐられました。

 

第三課 和氣淸麻呂公及

其の姉

  其の後、淸麻呂公の忠義が、益、世に聞えました。今上天皇陛下の御父君

孝明天皇様は、ことに、公の忠義をおほめになつて、正一位をおくられ護王明神の名を下されました。

 淸麻呂公の姉、法均刀自も、また、弟を助けて、忠義をつくされました。

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 法均刀自は、また、めぐみぶかき人で、八十三人のみなしごを、そだてました。

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第四課 忠誠

 人は、忠誠を第一とす。忠誠とは、心正しくして、まことの道に、かなへるをいふ、忠誠なる人は、おのづから、幸を得るものなり。されば、菅原道公は、

 心だに、まことの道に、かなひなば、

  いのらずとても、神や守らん。

と、よみたまひき。

 

第五課 貝原益軒先生(一)

 貝原益軒先生は、をさなきときより、學問を好まれき。

 先生は、早くより、ものしりとなりて、名をあげんとの志を立てたまひ、勉強のなみなみならぬ上に、おぼえよかりしため、其の學業、年と共に進み、つひに、名高き學者となられき。

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第六課 志を立てよ

 身を立て、名をあげんと欲せば、まづ志を立つべし。

 志を立てずして、身を立てんとするは、かいなくして、船を進めんとするが如し。

 さて、一旦立てたる志は、かたく、これをまもりて、如何に苦しきことありとも、決して、かふべからず。

 

第七課 貝原益軒先生(二)

 先生、かつて、船にのりて、たびをせられしとき、のりあひの一人の書生が、じまんがほに、書物のはなしをせるを、一言も、ものいはずして、聞き居られき。

 まもなく、船、きしにつきたるとき、各、名のありあひたるに、彼の書生は、先生の名を聞きて、大にはぢ入り、にぐるが如くに、立ち去りき。

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みのるほど、かしらのさがる、いなほかな。

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第八課 貝原益軒先生(三)

 先生ぼたんを愛し、常に、にはにうゑて、たのしまれき。

 或る日、一人の弟子、となりの男と、すまうをとりて、これを、折りければ、弟子は、先生のいかりにあはんことをおそれて、となりのしゅじんをたのみ、先生に、そのあやまちを、わびたりき。

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 然に、先生は、「わが、ぼたんを愛するは、いかるためにあらず。」とて、とがめられざりき。

 

第九課 思ひやり

 わが身に、このましと思ふことは、人も、よろこび、わがみに、うれしからぬことは、人も、また、よろこばぬものなれば、つねに、わが身を本として、人の身をおもひやるべし。さすれば、大かた、人の道に、はづるゝことなし。

《わが身をつめりて、人のいたさをしれ。》

 又、うし、うま、とり、むしなどの如きものを、くるしむるは、まことに、おもひやりのこゝろなき人なり。わが身、人に、くるしめられしときの、つらさを思ひて、これをいたはるべし。

 

第十課 貝原益軒先生(四)

 先生、又、たびを好み、ひまある時は、ひろく、あちこちをめぐりて、ためになること、或は、おもしろきことを記されき。

 家に在りては、常に、書物を[読]み、弟子に教ふることをつとめ、又、常に、世を益することを心がけ、死なるゝ年までも、書物を、あらはされたりき。

 されば、そのあらはされし書物は、甚、多く、皆、世のためになるものなり。

 

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第十一課 名取彦兵衛氏(一)

 名取彦兵衛氏は、甲斐の國の人なり。わが國に、かひこの糸をとる、よき器械なきために、糸のたち、よからずして、外國に[売]るゝこと少きをなげき、よき器械を作らんとて、長き年月の間、工夫せられたれども、作ること能はずして、しだい〳[くの字点]に、まづしくなりき。されば、きんじょの人々は、これを、わらはぬものなく、家族、親るいの人も、また、これをうれへて、やめんことを、すゝめけれども、彦兵衛氏は、少しも、はじめの志をかへず、如何にしもして、よききかいを作り出して、國益をまさんとのみ、一すぢに、思ひこみて、いよいよ、工夫をこらされき。

《世のためにつくせ。》

 

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第十二課 名取彦兵衛氏(二)

 「ねんりき、岩をもとほす。」といふことわざの如く、彦兵衛氏は、いふべからざるなんぎの末、つひに、一つの器械を、つくり出しき。

 この器械にて、とりたる糸は、ひょーばんよく、盛に、外國へも、賣れゆくよーになれり。」

 彦兵衛氏の如きは、身を顧みずして、國益をひろめし人といふべし。

 

第十三課 渡辺崋山先生(一)

 渡辺崋山先生は、をさなき時より、すなほにして、一たびも、父母のいひつけに、そむかれたることなかりき。ほかの子供等は、やしき内に、ひき入れてある用水、又は、井戸ばたなどにて、いたづらをして、しめども、先生は、決して、かくの如き、あしきことは、せられざりき。

 先生、八歳の時より、主人のわかとのゝ、御とぎを、いひつけられたり。これより、毎日、ひるまへは、十時にいでて、十二時にさがり、ひるすぎは二時にいでて、うたひ、或はまひなどの、御あひてをして、夕方に至りて、かへるを常とせり。雨のふる日には、みのかさにて、いでたち、一日も、おこたられたることなかりき。

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第十四課 渡辺崋山先生(二)

 先生、十二歳のとき、ある日、何心なく、日本橋へんを、とほられけるに、むかうよりる、大名のぎょーれつのじゃましたりとて、そのさきどものものに、うたれぬ。

 先生は、「おなじ人げんにてありながら、かかるはづかしめをうくる、ざんねんさよ」と、くやしなみだに、くれたりき。しばらくして、

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先生は、心をとりなほされて、「いざ、われも、ふんぱつして、一かどのすぐれたる人となり、人のあなどりを、うけざるほどのものとならん。」と、志をさだめたまひ、いふべからざるなんぎにたへて、べんきょーせられしかば、その學問、大に進みたりき。

 

第十五課 渡辺崋山先生(三)

 先生の家は、きはめて、まづしくして、夜、ねるにも、やぐもなきほどなりければ、兄弟はみな、他人のうちにやり、又は、ほーこーに出されき。

 其の末の弟を、他にやらんとせしとき、先生、大になげかれ、大雪のふるなかをもいとはず、なみだに、そでをしぼりつゝ、板橋の宿まで、見送られたり、先生、この時、十四歳なりき。

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第十六課 兄弟に友なれ

 兄弟は、おなじく、父母のかひなにいだかれ、おなじく、父母のめぐみをうけて、人となりたるものなれば、そのしたしみは、まことにあつきものなり。

 されば、兄姉は、弟妹をいつくしみ、弟妹は、兄姉をうやまひ、うれへ[憂い]あるときは、共にうれへ、よろこびあるときは、共によろこび、ながく、そのしたしみを、つゞくべし。

 兄姉相愛し、相たすけて、家業をはげみ、家をおこさば、父母のよろこびは、いかならん。されば、兄弟のむつまじきも、また、こーこーの一つといふべし。

《兄弟は、左右の手の如し。》

 

第十七課 渡辺崋山先生(四)

 先生、十七歳のとき、あるゑかきのでしとなり、おこたらず、ゑをならはれけるに、家、まづしくして、師しょーへのれいなども、行きとどかざりければ、つひに、師しょーより、ことわれれき。

 先生は、あまりのことに、おどろきて、いかがせんと思ひせまりて、泣き入られたり。

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 其の時、父は、先生をはげまして、「これしきのことに、力をおとすは、男子にあらず。すみやかに、ほかの師しょーにつきて、今までよりも、一そー勉強し、彼のものに、まさらんことを心がくべし。」と、いはれければ、先生、げにもとおもひ、いよ〳[くの字点]、ふんぱつして、金子金陵といふ人の弟子となり、ひたすら、べんきょーせられたりき。

 

第十八課 渡辺崋山先生(五)

 先生、其の後、ます〳、つとめはげまれしかば、ゑかくわざは、大にすゝみたれども、筆紙などを買ふこと、かなはざりければ、とーろーのゑをかきて、これを賣り、其の金にて、筆紙などを、とゝのへられき。

 先生、又、學問にいそがはしかりしかば、まいあさ、めしをたきながら、本をまれき。

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 されば、先生は、ゑのみちにすぐれられしのみならず、學問にも秀でたまひて、つひに、名高き大學者となられき。

《精神、一たび到らば、何事かならざらん。》

 

第十九課 渡辺崋山先生(六)

 先生、をさなき時より、おやこーこーの心、いと、ふかゝりき。父は、やまひがちにて、二十年の間も、つねに、すぐれざりければ、先生は、大に、之をうれへて、朝夕二度づつ、かならずかたをたゝき、こしをもみなどして、てあつく、かんびょーせられけれども、やまひは、ますます、おもりゆきけり。

 先生の、てあつきかいほーのかひもなく、父はやがて、死なれけり。されば、先生は、大に之をなげかれ、みづから、筆をとりて、なみだながらに、父のなきがらにむかひて、其のすがたを寫しとられき。かくて、手あつくはうむりし後は、つねに、父君のすがたをわがゐまにかけて、あさゆふ、をがまれければ、之をみる人、みな、まにだに、たもとをぬらしき。

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第二十課 親に孝なれ

 われ等が、生れいでてより、おとなとなるまで、ながき年月のあひだ、父母の、なし給ふ辛苦は、いかばかりぞ。

 或は、かひなにいだき、或は、乳房をふくませ、一日も、早く生長せよと、ねがひたまふ。

 六七歳に至れば、學校に入れて、學問をならはせ、たま〳、やまひあれば、身に代へても、すみやかに、いえんことを祈りたまふ。

 されば、子たるものは、しばらくも、この大恩を、忘るゝことなく、常に、孝行を盡[尽]すべし。」

 父母は、また、その子のしゆっせを、ねがはるゝものなれば、子たるものは、各學をはげみ、業をつとめ、世にたふとばるゝほどの人となりて、父母の名をも、あらはすべし。これ、考の、最、おほいなるものなり。

第二十一課 渡辺崋山先生(七)

 先生のせんぞは、岡部主税(ヲカベチカラ)といふ人より、あつきなさけを、うけたることありき。されども、年久しくなりて、今は、其の家に出入りもせざるよーになりぬ。

 先生、おもはるゝよー、かくては、ふるき恩をわするゝものにて、人のみちにあらず。今より、あらためて、つきあひせんとて、チカラののちなる、岡部左京のもとに、出入りのことを申しこみしに、左京は、先生の厚き心にかんしんして、こゝよく、しょーちしたりければ、先生おほいによろこびて、それより、ねんごろにつきあひせられき。

《恩をうけては、わするべからず。》

 

第二十二課 渡辺崋山先生(八)

 先生、後に、おらんだの學問を習ひて、外國のありさまを知り、國の守りの大切なることをさとり、外國のはたじるしをかきて、これを、うみべを守るやくにんに、示されき。

 それのみならず、其のころの人の外國のことを知らざるをうれへ、いろ〳の本を書きて、これをさとされき。

 今上天皇陛下には、先生が、國のために、つくされしことを、せられ、正四位を、おくらせたまひき。

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第二十三課 瀧鶴臺[タキカクダイ]先生の夫人

 瀧鶴臺先生の夫人は、かたち、甚、みにくかりしも、その心、かしこかりければ、つひに、鶴臺先生のところに、よめ入りせられき。

 夫人は、先生にとつぎし後は、いよ〳、その行をつゝしみ、また、よく、その夫につかへられければ、世の人、みな、その心がけのよきを、ほめはやしき。

 夫人は、赤と白との糸をまるめて、たもとに入れおき、よき心、おこりしときは白き糸をふやし、あしき心、起こりしときは、赤き糸をふやし、とき〴、二つのたまの、大きさをくらべて、ます〳、その行を、つゝしまれきといふ。

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第二十四課 女子の心得

 女子のこゝろうべきことは、多かれども、その中、最、大切なるものは、つぎの四つなり。

 第一、心正しくして、すなほなること。

 第二、言葉をつゝしみて、ていねいにものいふこと。

 第三、みなりをとゝのへ、たしなみぶかきこと。

 第四、たちぬひ・りょーりなどのことに、なれおくこと。

《かゞみと、みさをとは、女のもつべきもの。》

 

第二十五課 公徳を守るべし

 わが身がつての事のみして、多くの世の人のためを思はぬは、あしき行なれば、つねに、きをつけて、次のことを守るべし。

一 きんぜいのあるばしょにて、鳥をうち、魚をつり、或は、木ををるべからず。

一 社・寺・學校などの、道具をそこなひ、又は、かべ・へいなどに、らくがきをすべからず。

一 みだりに、田・はたに、ふみ入りて、他人の作物を、あらずべからず。

一 ゆーびん箱・でんしんばしらの如き、おほやけのものに、いたづらすべからず。

一 汽車・馬車等にのる時、みだりに、人をおしわけ、又は、せきをあらそふべからず。

一 犬・猫の死にたるものなど、すべて、きたなき物を、道、或は、川にすつべからず。

 

第二十八課 義勇公に奉ぜよ

 人には、勇氣なかるべからず。勇氣なきときは、何事も、なしとげがたきものなり。

 勇氣は、出すべきところと、出すべからざるところとあり。されば、よく、前後をわきまへ、道理にかなへるか、否かを明かにして、後、義のために、すゝむべし。これを義勇といふ。

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